2014年12月11日木曜日

「秘密保護法施行するな」集会


秘密保護法強行採決から1年が経ちました。





安倍政権はこの秘密保護法を12月10日に施行しようとしています。





これに反対し日比谷野音で集会が開かれ、銀座をデモしました。





知る権利を抑圧する秘密保護法は働く者の闘いを抑圧します。





寒風吹く中最後までデモをしました。

2014年11月14日金曜日

派遣法改悪阻止


派遣法改悪阻止の国会前集会に参加しました。


3年ごとに派遣会社は人を代えれば派遣を続けられます。


こうした規制緩和をすれば職場は派遣職員ばかりになってしまいます。


正規職員の平均年収が467万円と言われています。


これに比べて非正規職員の平均年収268万円です。


86年派遣法が施行され、当初の専門職から拡大され、派遣会社は6兆円の派遣職員の市場で儲け続けています。


結果、働く者の賃金は、平均で1997年467万円から2012年408万円へと低下。


月収で5万円の低下です。


正規職員を増やしても、派遣職員のこれ以上の拡大を許してはなりません。


解散総選挙で幸いにも廃案となりましたが、自公政権をこれ以上許せばまたこの法案は出てきます。


働く者の未来のためにも許してはなりません。

2014年11月3日月曜日

ユニオン全国交流集会


今年のユニオン全国交流集会は札幌で開催されました。



お互いさまから11名の参加でした。



全体集会の報告で昨年の全国交流会において札幌地域労組から報告されていた田井自動車での不当労働行為、組合つぶしとの闘いが全面解決し社長も謝罪したとの報告が今年ありまし
た。


初めての組合活動、鉢巻の付け方も分からず、生まれて初めてストライキを行った若者たちが勝利して本当に良かったと思いました。


お互いさまの組合員でもある「東京過労死を考える家族の会代表」の中原さんが「過労死等防止対策推進法」制定の経過とこの法律に魂を入れるのはユニオンの闘いが重要と訴えました。


一方リコー追い出し部屋の闘いでの勝利も報告されソニー追い出し部屋での我々の闘いの参考のためにも細目を知りたく思いました。


派遣先の阪急交通社での派遣労働者の闘いでの勝利、広島の派遣先の国交省との派遣労働者の裁判闘争なども、ともすれば「派遣先と労使関係にない」前提でどう物を取るかで闘いを作ろうと考えてしまう事を考えさせられました。


記念講演は大学と労働組合がつながる必要性が語られ興味深く聞きました。東京の大学にもこうした教員はいれば交流したいと思いました。



歓迎レセプションはアイヌ民族による歌と踊りでした。「アイヌはいない」との道議会での発言に抗議しながらの歌でした。ロック調にアレンジした歌はとても魅力的でした。



分科会は第7分科会自由討論の場「憲法・安倍」に参加しました。参加者が安倍批判を言う中で経済問題に言及されましたので、私は取り組みとして東京北部地域での1000人委員会の取り組み報告を行い安倍の経済政策批判を発言しました。


更に集団的自衛権に60%の方が反対して、内閣の支持が60%ある現状で、問題を顕在化させ現状を打破すべきとの主張に、ウイメンズユニオン(ユニオンとシェルターの活動をされている)の方から「民主党
の問題がある。消費税も含めて元凶は民主党。政権時の自己批判無くして自民を利するだけ」と意見がありました。



団結ガンバローで閉会し、全国の仲間に励まされ勇気を貰った交流会でした。


集会後は折角北海道まで来たので観光です。


札幌の街を散策し、旧北海道庁や時計台など散策をしました。


少し足を延ばして小樽に行き、小樽観光とニッカ工場見学の余市に分かれました。


もう1泊し、支笏湖見学で晩秋の北海道を満喫しました。



あいにくの小雨ふる天候でしたが、紅葉の湖畔を散策し、名物「チップ」ヒメマス料理も堪能しました。



この後一路千歳空港へ、走り、飛行機に乗って帰京しました。


来年は愛知!又元気を貰いに参加したいです。

2014年6月1日日曜日

お互いさま大会



お互いさまの定期大会が開催されました。



首都圏ユニオンなど多くの来賓も参加くださりました。



お互いさまは事務所を千代田区岩本町におき、経費は組合費でまかなっています。



組合員は昨年より増えてはいますが、金銭解決の際に寄付が組合員からあるのですが昨年は寄付が少なく、財政は厳しく成っています。


人件費は、4名の専従はそれぞれが会社を退職してボランティアで無給で組合活動の経験を活かし、運営しています。


昨年までは諸行動には交通費を支給していましたが、今年からは財政が厳しいことから、半額を補償することに改めました。



大会最後は団結ガンバろうです。



大会の後は定例の交流会です。



近くの中華料理店で行いました。



食べ放題、飲み放題3000円で交流を深めました。

第2回ニッコー裁判


ニッコー裁判の第3回が開かれました。


支援で多くの方が参加くださり傍聴席を埋めました。


第2回で非公開の動きの中で、これだけの支援の人がいると示し公開で行われました。

写真は支援者に状況説明をする海渡弁護士、黒沢さん、斉藤委員長、松本書記長です。


今回は、その様な事を言うわけがないとの会社側に対し、証拠で録音テープの存在を示しました。


裁判所側から会社側に主張の変更は早くするように発言が有りました。

立川で傍聴は大変ですが引き続き闘います。

2014年5月1日木曜日

春のフィールドワーク



組合員のレクリエーションで春のフィールドワークが行われました。





「田中正造と館林市街 ゆかりの人々と史跡を訪ねる」ツアーです。





館林に12時に集合して群馬三大うどんの館林うどんを食べました。





その後歩いて史跡を回りました。





館林は日清製粉発祥の地で正田記念館もあります。





正田家も塀越しで覗きました。





清龍神社は、延宝年間、突如水が吹き上がり、その中から清龍権現が姿を現しました。





当時は後の将軍綱吉が館林城主だった頃で、生母桂昌院が、これを聞き神社を建てました。
今も井戸は水をたたえています。





青梅神社は、足尾鉱毒事件が弾圧の中で孤立化し、勢いを失おうとしていた時に、鼓舞する為に田中正造たちが講演会を行った場所です。






日本画家小室翆雲の天井画のある常光寺に寄りましたが、住職が留守で見れませんでした。





墓地には正田家の立派な墓が有りました。






田中正造記念館を通りました。






今日は時間がなく見学ができないのが残念でした。





NHKのドラマ「足尾から来た女」で再び注目がされていると聞きます。




足尾鉱毒事件と館林が関係があるのか知りませんでした。




川俣事件と呼ばれる弾圧事件で、栃木・群馬・埼玉の被害者2500人が館林の雲龍寺に集結し東京をめざし出発しました。






これを川俣で巡査180名、憲兵10名にサーベルで殴られなど弾圧され指導者68名が逮捕されました。





この弾圧で運動から離れる者が続出しました。





田中正造はこの局面でも運動を鼓舞し続けまし
た。





館林城跡を見学しました。






田山花袋旧居と旧上毛モスリン事務所を見学。





最後の殿様の秋元別邸を見学しました。




つつじが満開でした。





最後も館林うどんで一杯飲み解散しました。





昼の「館林うどん」はコシが強いうどんでしたが、夜の丸木屋のうどんはコシよりのど越しのよさが特徴でした。





うどんに合わせてそばも出してくれましたが白いそば(更科系)、黒みがかったそば(藪系)、黒いそば(田舎系)と出してくれて感激をしました。

2014年1月30日木曜日

不当解雇阻止裁判闘争



不当解雇を阻止するために裁判闘争を闘っています。


この会社は、トラック運転手に過積載などの違法行為を強いて、残業代も支払わず、かってあった労働組合もつぶしています。


お互いさまの組合員になったKさんは、この違法行為を会社内で、多くの社員が黙らされている中、勇気を振り絞り、指摘しました。

会社はこの指摘に答えようともせず、一方的にKさんを解雇してきました。


Kさんは、一人では闘えないと私たちに相談に来られ組合員になられました。


会社は団体交渉の申し入れにも応えず不当労働行為を繰り返しています。



裁判に訴え闘いを裁判所に移しました。



本日は裁判第1日目ですが、相手弁護士は不在で、我々の訴状に対し未だ反論もでず、裁判に本日はなりませんでした。
Kさんを支え、会社の不当行為を許さず、解雇を撤回するまで闘い続けます。



しかし、会社が町田であることから裁判所が立川からモノレールに乗って高松駅で降りた東京地裁立川支部です。



中央区岩本町もお互いさまにはかなり遠く、多くの組合員が日中の傍聴に参加するのが困難で、他の組合にも協力を求め闘いを進めます。

都知事に宇都宮さんを推薦決定



「ユニオンネットお互いさま」は都知事候補の宇都宮けんじさんの推薦を決めました。





宇都宮けんじさんは脱原発を主張しているだけでなく、解雇特区など雇用の規制緩和に反対をしています。




非正規雇用は小泉内閣で増え、4月より派遣労働者の3年の制限や職種の制限が無くなります。




更に非正規労働者が増えていきます。




その小泉元首相が提携し、自らも規制緩和を提唱している細川候補を推薦することは出来ません。





宇都宮さんは、派遣切りに遭い仕事も住まいも無い方の年越し派遣村の名誉村長をし、国に対策を求めていました。



それに応えようともせづ、派遣村の方に慰労どころか会おうともしなかったのが当時の厚労省大臣舛添さんです。





働くものの為にぜひ宇都宮さんの当選目指して応援します。